2016年
2月
21日
日
根津神社(ねづじんじゃ)
所在地:東京都文京区根津1-28-9
御祭神:須佐之男命(すさのおのみこと)、大山咋命(おおやまくいのみこと)、誉田別命(ほんだわけのみこと)、大国主命(おおくにぬしのみこと)、菅原道真公(すがわらみちざねこう)
御由緒:古く駒込千駄木に鎮座。現在の社殿等7棟は、宝永3年5代将軍徳川綱吉が奉建遷座したもので、国の重要文化財に指定されている。境内は六代将軍家宣誕生の屋敷跡、名高いつつじは父綱重が庭に植えたのがその起こりである。旧府社。(東京都神社庁「都内の神社の紹介」から抜粋)
根津神社は、南北線東大前駅から徒歩5分ほどのところに鎮座します。はじめてのお参りだったが、境内が広いので、直ぐにわかりました。
たまたま、参道で「道草てづくり市」と称する催し物が開催されていて、露店が並んでいました。
神橋を渡り、楼門を過ぎると、正面に拝殿が見えます。 小雨がぱらつく空模様だったが、さすがに、参拝客で賑わっています。
拝殿の奥に幣殿・本殿と続く、いわゆる権現造という様式になっているようです。ただ、社殿周囲が透塀で囲まれているので、幣殿や本殿はよく見ることができません。
境内に生えているムクノキ、イチョウ、スダジイなどに「文京区保護樹木」という標識が設置されているものがありました。
拝殿の右手にあるお札授与所でお願いして、御朱印をいただきました。
御朱印をもらう参拝者が他にいて、少し並びました。
この神社では、神職が参拝者の前で、毛筆でさらさらと書いていました。
2016年
1月
25日
月
NHKで1月2日に放送された「完全版 明治神宮 不思議の森」のビデオを視聴したとき、その森の設計者として紹介されていた本多静六、本郷高徳、上原敬二について、もう少し知りたいと思い、次の本を読んでみました。
今泉宜子『明治神宮―「伝統」を創った大プロジェクト』(新潮社、2013年)
著者は、「まえがき」の中で、「林苑、公園、歴史、芸術・・・・・・。西洋を通過して彼らが明治神宮に思い描いたものは、決して1つではないだろう。そのせめぎ合いから、確かに1つの明治神宮が生まれた。筆者が惹きつけるのは、この誕生の力学だ。造営者たちの物語を追いかけたい。」と述べています。
本多静六については「森のビジョン」、本郷高徳については「『林苑計画』の実事」、上原敬二については「術から学へ」というタイトルをつけて、その生涯を要領よく、伝記的に記しています。
以下に、「第2章 永遠の杜」を読んで、印象に残ったところをメモしてみます。
本多も本郷も、森厳な神社林にふさわしいのは針葉樹であるという持論を持っていた。
崇敬の念、森厳の感あらしめる神社の森とは、常に亭々として昼なお暗いすぎ、ひのき等の針葉樹林ことふさわしいという理想。
しかし、代々木では、針葉樹の神苑は望めない。森林帯上暖帯に属するこの地を郷土とし、且つ都会特有の煙害に強い樹種でないと、常に鬱蒼とした森を将来にわたって持続することは困難である。郷土の気候風土に適応し煙害にも耐性がある樹種は、常緑闊葉樹である。
「森厳な神社林」の要件は常に大前提として針葉樹にあるのではなく、むしろ、その土地の環境に適し、自然本来の力で天然更新を可能にする樹種を重視して林相を構成するべきで、そのようにして形成された神社林が湛えるものこそ「森厳さ」とよぶに相応しい。
上原は、仁徳天皇陵を視察した。人の手の入らない照葉樹の森。その原生林のようなたたずまいに「荘厳さ」を感じとった。「全くの藪である。永遠に変わらない極限の林叢である。百年の未来を想うがゆえの思慮であった」。以来、神社林の設計では、この「藪」のような原生林を究極の理想として進めなければならないという深い自覚をもった。 |
2015年
12月
01日
火
高石神社(たかいしじんじゃ)
所在地:川崎市麻生区高石1ー31ー1
御祭神:天照皇大神( あまてらすすめおおみかみ)、応神天皇(おうじんてんのう)、武甕槌命(たけみかずちのみこと)、伊波比主命(いわいぬしのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、比売命(ひめのみこと)、家都御子神(けつみこのかみ)、速玉大神(はやたまのおおかみ)、夫須美神(ふすみのかみ)
御由緒:天照大神を主神として祀る。往時は「伊勢宮」と称し、当社あるを以て境内一帯を「お伊勢の森」と呼ぶ。大正11年、高石地区内に分散鎮座せる熊野社、御嶽社、春日社、富士浅間社、八幡社などを合祀遷宮し、更に稲荷、第六天の二小祠を左右に相殿とする。
社殿は二間半に三間の宮作りの覆屋であったものを大正11年、合祀遷宮に当り増改築し現在の拝殿、幣殿、神饌所、奥殿となり、それまで東向きであったものを南向きとする。その後、昭和50年に本殿を改築。(神奈川神社庁「かながわの神社」から抜粋)
高石神社は、細山神明社から南の方へ10分ほど歩いた高台にありました。
一の鳥居をくぐり、石段を上ると、正面に拝殿が現れます。
広場は、比較的広く、落ち着いた雰囲気です。
境内を散策したところ、常駐の神職がいない神社とは思えないほど、よく手入れが行き届いているように見えました。
2015年
11月
29日
日
神明社(しんめいしゃ)
所在地:川崎市麻生区細山2ー6ー1
御祭神:天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、五十猛命(いたけるのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、猿田彦命(さるたひこのみこと)
御由緒:神明社は、言い伝えでは鎌倉時代に祀り始められたといわれている。明治6年(1873)に細山村の村社となり、明治44年には細山村の稲荷社、杉山社、秋葉社、春日社及び金程村の杉山社等が合祀された。
神明社は、関東に三社ある「逆(さか)さ大門(だいもん)」の神社の1つとして広く知られている。普通、神社は鳥居をくぐって石段を上り社殿に到るように建てられているが、神明社の場合は鳥居が丘の上にあって、坂の下に社殿が位置しているため、「逆さ大門」と呼ばれているのです。
この逆さ大門の由来については、次のような伝承がある。当初、この神社を建築したときには社殿は東向きだったが、一夜にして西向きに変わってしまった。村の人々は不思議に思いながらも東向きに戻したのだが、夜が明けるとまた西向きに変わっていた。そんなことが3度も続いたある夜、名主の夢枕に神様が立ち、「村の鎮護のためには西の伊勢の方向へ向けよ、大門が逆になっても良い」というお告げがあった。それ以後、社殿は西向きになり、大門は逆にならざるを得なかったという。(神奈川神社庁「かながわの神社」及び川崎市教育委員会「細山神明社」から抜粋)
細山神明社は、小田急小田原線読売ランド前駅から徒歩15分ほどの住宅地に鎮座します。
一の鳥居をくぐり、急な石段を上ります。少し進むと、さらに鳥居があり、その鳥居をくぐると、下の方に社殿が見えます。
石段を下って、お参りしました。
社殿は、鳥居から石段を下ったところにありますが、決して谷底にあるという訳ではなく、丘の中腹に建っているようです。
神明社だけに、本殿は、典型的な神明造りで、とても立派なものにみえました。
参道に「保存樹林(昭和53年9月、指定第24号、主な樹種:クス・クロマツ・スギ)」という川崎市の標識が設置されていました。
この神社は、旧村社ですが、常駐の神職はいないようです。
2015年
10月
08日
木
杉山神社(すぎやまじんじゃ)
所在地:横浜市都筑区中川6-1-1
御祭神:日本武命(やまとたけるのみこと)五十猛命(いたけるのみこと)
御由緒:創建年代等は不詳ながら、旧都筑郡域に多く祀られている杉山社の1つで、明治維新後には郷社に列格していた。旧大棚村に鎮座していたことから、大棚杉山神社とも呼称される。旧武蔵国の式内社である「杉山神社」の有力論社の1つ。昭和58年当地へ遷座、当地には元吾妻社があった。(神奈川神社庁「かながわの神社」及びウィキペディア「杉山神社(横浜市都筑区中川)」から抜粋)
大棚杉山神社は、横浜市営地下鉄センター北駅徒歩5分ほどの高台に鎮座します。
境内はあまり広くなく、そこに立派な社殿が建っています。鎮守の森にふさわしいような太い樹木はありません。
旧郷社という先入観にとらわれるせいか、想像していたものとは、大分違います。
移転を繰り返し、平成6年にこの地に遷座したとのこと、そのせいでしょうか。
センター北には、私が成年後見人をしている老人の入所する施設があり、その施設を訪問するために行きました。
センター北は、新しく整備された街のようで、とても整然とした感じがします。つくば市に行ったときのような雰囲気を感じました。
ただ、私は、なぜかいまいち落ち着かない気分になりました。
2015年
9月
27日
日
新城神社 (しんじょうじんじゃ)
所在地:川崎市中原区新城389
御祭神:天照大神(あまてらすおおみかみ)
御由緒:建立の年月日は不詳であるが、最も古い棟札によれば、元禄7年9月領主中川佐平太重興候建立とあり、更に明治30年6月新城村内にあった杉山社及び天神社を合祀して「新城神明社」として村社に列せられた。 その後、昭和12年4月氏子の奉賛により、現社殿に改築し、境内地を拡張、同時に神社名も「新城神社」と改称された。(神奈川神社庁「かながわの神社」から抜粋)
新城神社は、JR南武線武蔵新城駅から徒歩7分ほどのところに鎮座します。
鳥居をくぐって、社殿に向かって進むと、少し落ち着かない感じがしました。
境内が交通量の多い道路に囲まれていて、車の音が聞こえる、境内には大きな樹木が少ないためか、妙に明るく、また周りの景色が目に入るせいでしょうか。
拝殿は、珍しく瓦葺きで、堂々たる建物に見えました。
2015年
9月
20日
日
徳持神社(とくもちじんじゃ)
所在地:東京都大田区池上3-38-17
御祭神:誉田別命(ほんだわけのみこと)、宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)
御由緒:創建は、建長年間に豊前の宇佐八幡宮より御分霊を勧請したと伝えられる。御旗山八幡宮とも称され、荏原郡池上村大字徳持の住民の守護神として尊崇される。もと徳持の南地区に鎮座、明治39年池上競馬場(目黒記念の発
祥の地)設置のため、現在地に移転。明治41年5月再建、同年9月15日徳持上宿に鎮座の稲荷神社を合祀竣工遷座を執行、社名八幡神社を徳持神社と改称する。(東京都神社庁「都内の神社の紹介」から抜粋)
徳持神社は、東急池上線池上駅から徒歩5分ほどのところに鎮座します。
池上通りに面した鳥居をくぐると、鉄筋コンクリート造りの拝殿が正面に現れます。
境内は広くないが、クスノキ、ケヤキ、スダジイ、イチョウなどの樹木が茂っています。
大田区の「保護樹林(指定日:平成3年11月18日、樹林面積:1,080㎡、指定番号:第63号)」の標識が設けられていました。
本殿は、樹木などに遮られて、よく見えなかったのですが、鉄筋コンクリート造りで、神明造り風の建物のようでした。
鳥居をくぐると、直ぐ左手にマンションがあり、その1階が社務所になっています。その社務所にお願いして、御朱印をいただきました。
2015年
9月
14日
月
六所神社(ろくしょじんじゃ)
所在地:東京都大田区下丸子4-16-5
御祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)、伊邪那岐命(いざなきのみこと)、素盞嗚命(すさのおのみこと)、大宮比売命(おおみやのめのみこと)、瓊々杵命(ににぎのみこと)、布留大神(ふるのおおかみ)
御由緒:鎌倉時代、四條天皇の御宇の文暦元年(1234年)に、荏原佐衛門義宗が多摩川下流のこの下丸子の地に、六柱の神々を奉斎したのが当社の創祀であると伝えられている。旧村社。(案内板の記載から抜粋)
下丸子六所神社は、多摩川線下丸子駅から徒歩5分ほどの住宅地に鎮座します。
鎮守の森にいる感じというのでしょうか。境内に樹木が多いせいか、とても落ち着いた気持ちになりました。
拝殿の前には2本のイチョウの大木が、本殿の周囲にはスダジイやケヤキが、配置されています。
本殿の左側に生えているケヤキの大木には、大田区保護樹(指定番号第422号、平成3年2月5日指定)という標識が設置されていました。
拝殿も本殿も、とても趣のある建物に見えました。
御朱印は、神職が不在で、いただけませんでした。
2015年
9月
13日
日
鵜ノ木八幡神社(うのきはちまんじんじゃ)
所在地:東京都大田区南久が原2-24-1
御祭神:誉田別命(ほんだわけのみこと)
御由緒:延徳元年(1489年)下野国佐野の在より天明五郎右衛門光虎が当地に移った際に一族の守護神として八幡大神を祀ったのが当社の起原である。創建より既に500有余年の時代が流れ、一族の守神から地域の氏神として信仰されるようになった。弘化4年(1847年)改築の旧社殿は昭和20年(1945年)の空襲で焼失。平成12年(2000年)社殿等を再建するとともに、改めて宇佐神宮より御分霊を勧請した。(「大田区お宮巡り」の記載から抜粋)
鵜ノ木八幡神社は、東急多摩川線の鵜ノ木駅から徒歩数分の住宅地に鎮座します。
折悪しく、お参りしたときは、祭礼の準備をしているようでした。
余り広くない境内には、立派な社殿が建っています。
この社殿を見て、おやっと思ったのは、壁面の大部分が漆喰でできているようだったことです。壁が漆喰の神社は、あまり見たことがなかったからです。
また、境内のうち、社殿の左側は、駐車場になっているようでした。
祭礼準備で忙しいと思いましたが、社務所で御朱印をお願いしたところ、快く応じてもらいました。
2015年
9月
09日
水
だいぶ前に放送されたものですが、NHKスペシャル「明治神宮 不思議の森 ~100年の大実験~」(2015年5月2日午後9時から放送)のビデオを視聴しました。明治神宮鎮座百年記念事業として行われた第二次明治神宮境内総合調査のドキュメントです。
このビデオがとても興味深かったので、これに関連した写真集はないかと探したところ、次の本を見つけました。
伊藤弥寿彦・佐藤岳彦『生命の森 明治神宮』(講談社、2015年)
著者は、本書のはじめに、次のように述べています。
日本人にとって、神と森は切り離せないものであり、神社の森は私たちの原風景ともいえよう。明治19年、明治天皇は代々木の地を行幸された。そのとき、この地の趣がお気に召されたことから、大正9年、御祭神である明治天皇と昭憲皇太后のみゆかりの地として、明治神宮が創建された。
平成の今、境内の入り口に立つ鳥居の向こうには、鳥居の高さを超えて樹々がそびえ立ち、樹木が包み込む静けさが広がる。 人の立ち入りを禁じた森にはさまざまな「いのち」が息づいている。ここではたといその姿を見ずとも、息づく「いのち」を感じずにはいられない。神宿る杜の中で、人知れず暮らし互いに繋がり合う生きものたち。それもまた、この尊い森の一部なのである。 |
本書は、上記の明治神宮境内総合調査に密着して撮影した公式写真集とのことです。
95ページですが、ずっしりと重い本です。各写真には、簡単な解説と撮影月が日本語と英語で記されています。
折に触れて読み返したいと思います。
本書の最後にある「解説」中に、神宮の森づくりの計画者の1人である上原敬二の回想録から引用した部分があります。その引用部分(森づくり計画)のうち、特に関心をもったところを簡単に図で示してみます。