日枝神社(ひえじんじゃ)
所在地:川崎市中原区上丸子山王町1ー1555
御祭神:大己貴神(おおなむちのかみ)、家都御子神(けつみこのかみ)など
御由緒:第50代桓武天皇の御嫡子、貞恒親王次男恵恒僧都 (山本平左衛門尉恒重) が、弟二郎左衛門尉恒明と共に滋賀県大津市坂本日吉大社の御分霊を奉じ、此の丸子の地に宮造りして御鎮座遊ばされたのが現日枝神社である。時に大同4年(809年) 6月14日 のことである。御供田として、上丸子、下丸子、今井村を当社の社領と定められていた。治承2年5月、小松内大臣平重盛は武里蔵人大夫という侍を関東に遣わし、山王権現の社殿を再建され、九寸五分の御剱を奉納された。徳川三代将軍家光の寛永19年8月17日より、御朱印20石を賜わっていた。大正7年には村内の八幡社・天神社・大六天社・熊野社・神明社・諏訪社・杉山社が合祀された。(神奈川神社庁「かながわの神社」から抜粋)
この神社は、武蔵小杉駅から徒歩10分位の地で、多摩川の堤防まで100m足らずのところに鎮座します。
境内には太い樹木(ケヤキ、シラカシ、クスノキなど)が数多くあり、街中の鎮守の森という感じです。日枝神社の境内は、川崎市の保存樹林(指定番号:6)に指定されています(詳しくはこちらから)。
例大祭(丸子山王祭)は、8月に行われ、とても盛大なようです。
川崎市のWebページによると、「現在の本殿は元文5年(1740年)5月に建立され、山王大権現三座の正遷宮が行われた」、「当本殿は三間社流造の市域における唯一の遺構であり、細部の意匠も整い、18世紀の橘樹郡を代表する本殿である」とのことです。
この本殿は、川崎市重要歴史記念物(平成2年1月23日指定)に指定されています。