これまで、長浜浩明『古代日本「謎」の時代を解き明かす』の中で、神武東征、「大阪平野の発達史」、邪馬台国(邪馬壱国)、「黥面文身」、「豊葦原」、銅鐸について、著者が主張するところを記してきました。
今回は、引き続いて、以下に、古代天皇の在位年について、著者が主張するところを記してみます。日本書紀に記載された百歳を超える古代天皇は、どのように考えればよいのか?
日本書紀を書くための資料は、次のようなものであった。
① 「欽明天皇の頃に筆録された」とされる帝紀、次いで旧辞 ② 地方の伝承記録、政府の記録、寺院の縁起など ③ シナの漢書、後漢書、三国志など ④ 百済の百済紀、百済新撰、百済本紀
魏略の逸文「 裴松之の注」によると、「倭」について、「その俗、正歳四節を知らず。ただ春耕秋収を計って年紀と為す」と記されている。つまり、倭は、春から秋までを1年、秋から春まで又1年とする「春秋年」を用いていた。
日本書紀には欽明天皇14、15年(550年頃)に暦博士の渡来が見えるから、その頃からシナの暦を用いて年紀を組み立てたが、その前は濃淡はあるものの「春秋年」が生きていた可能性が高い。
日本書紀は、帝記にある年紀をそのまま採録した。官吏が勝手に手直しすることは許されず、原資料どおり書き込んだと見られる。
皇紀を実年に換算する当たって、次の原則を設定する。 ⑴ 推古朝など、皇紀と実年とが確実に一致している年代を起点に、過去へと遡る。 ⑵ 「春秋年」の適用期間と範囲を見定める。 ⑶ 歴代天皇の崩御年齢、崩御年、在位年数、即位年齢などに合理性があるか検討する。 ⑷ 百済王の没年・即位年記述と日本書紀の記述とを照合する。百済王の年紀は実年で採録されているからである。 ⑸ これらを総合的に判断して歴代天皇の在位年代を確定する。
この原則に従って換算し、古代天皇の在位年を推定する。神武天皇が即位された皇紀前660年は、実年に直すと前70年となった。この時代は、「河内潟の時代」であり、日本書紀の記述と地理的状況との整合性が保たれる。 |