先に、田中英道『美しい「形」の日本』について、記事を書きました(記事はこちらから)
著者は、「形」に着目した文化史を提案しています。
今回は、その著書の中で、神道、仏教、神仏混淆(著者は「神仏融合」という。)に関して、著者が主張しているところを記してみます。
わが国が宗教的対立の泥沼に足をとられなかったのは、日本人が「神仏混淆」という妙案を生み出したからだ。
神道は「神ながらの道」といって、日本固有の宗教である。山川草木、自然のあらゆるものに「神」を認めて崇める宗教。自然信仰と呼ぶことができる。また、祖先の霊に対する信仰もあれば、皇祖霊に対する信仰もある。
森羅万象に神が宿ると考え、さらに人が死んだら神になるとして祖霊や死者の霊を祀ることを重視する民族的な宗教なので、神道には明確な教義や経典がない。いっさいが形式と習慣のうちにある。
現在でも日本人はみな正月になると初詣にでかける。なぜ神社にお参りするのか、確固とした理由はない。その行為自体が大事なのだ。神道は「形」でしか表現できない宗教である。
神道の祭祀長は日本人全員の本家とされる天皇。天皇の仕事は、わが国を守る神々を、春夏秋冬、祀りつづけることである。
天武天皇は、個人的な問題(例えば、悩みや健康)には仏教で対処し、公的な問題(例えば、国家の安泰を祈願すること)には神道で対応した。「公=神道」「私=仏教」という役割分担を明確にして、それを実に使い分けた。神仏混淆という美しい「形」はここに結実した。その流れは現代にまで通じている。
わが国では天皇とその祖先である神々の偶像化が禁止されていた。神々の像をつくる代わりに、仏像をつくり、そこに神々の姿を反映させていたと見ることができる。
日本古来の宗教(神道)の基本は、御霊信仰なので、形は見えない。亡き人の魂には形がないので、見ることができない。そこで、御霊を仏像によって代置しようと考えた。
日本では、仏教を受容したとき、輪廻思想をカットして、人は死ぬと「仏になる」として、神道を持続した。仏教は受容したけれども、神道の考え方と両立しない六道の思想は排除してしまった。
神道の御霊信仰を邪魔するような要素は排除してしまったわけで、ここにも日本人の「形」の美を守ろうとする精神がよくあらわれている。 |