先に、田中英道『日本の文化 本当は何がすごいのか』について、記事を書きました(記事はこちらから)
著者は、本書を「神道の基本である自然信仰、御霊信仰、皇祖霊信仰をもとに、日本文化を眺めてみた本」だといいます。
今回は、その著書の中で、自然信仰によってつくられる日本文化の独自性として、著者が主張しているところを記してみます。
西洋は、最初に神(God)が存在するという「言葉の文化」です。
これに対して、日本は、人間が存在する以前、神々が存在する以前からある天地、混沌、そういうものが最初にあるという考え方です。神道の一番の原理です。
日本文化の特徴として、皇居があります。東京のど真ん中に115万平方メートルの聖域が広がっています。ほとんどが原生林に近い状態で、モチノキ、スダジイ、タブノキ、クヌギ、カエデ、ケヤキなどが茂っています。
東京という大都会の中心に、まるで聖域のような場所に、動植物が原生林の中のように育っているということ、さらには、それをそのままにしているということは、外国人からすれば、実に驚くべきことです。それを日本人は驚くべきことだとは思っていないところに、日本の信仰、日本の精神構造の特性があるといえます。
縄文時代から、富士山信仰の形跡が見られます。富士山の山頂が、『古事記』や『日本書紀』に登場する高天原のイメージにつながっています。それを観念化して高天原といっているのです。そこは、神様たちがいる場所です。
神々がおられる場所、あるいは神々に一番近い場所が、富士の高嶺だったのかも知れません。富士山が、日本の自然のシンボルであり続けるのは、そうした富士山への思い、信仰があるからではないでしょうか。
葛飾北斎の「富嶽三十六景」は、自然信仰を表し、自然が日本を守っているということを表しています。
ジャポニズムの流行は、自然が人間を守るものだという自然観がヨーロッパの人たちの心をとらえたということです。ジャポニズムは、キリスト教的な神に縛られない、自然信仰というものを初めて西洋世界に伝えた、キリスト教世界に伝えたのです。
セザンヌやモネのような画家たちは、日本がもっている自然信仰、神道を、形として感じ、絵画化しました。 |