NHKで1月2日に放送された「完全版 明治神宮 不思議の森」のビデオを視聴したとき、その森の設計者として紹介されていた本多静六、本郷高徳、上原敬二について、もう少し知りたいと思い、次の本を読んでみました。
今泉宜子『明治神宮―「伝統」を創った大プロジェクト』(新潮社、2013年)
著者は、「まえがき」の中で、「林苑、公園、歴史、芸術・・・・・・。西洋を通過して彼らが明治神宮に思い描いたものは、決して1つではないだろう。そのせめぎ合いから、確かに1つの明治神宮が生まれた。筆者が惹きつけるのは、この誕生の力学だ。造営者たちの物語を追いかけたい。」と述べています。
本多静六については「森のビジョン」、本郷高徳については「『林苑計画』の実事」、上原敬二については「術から学へ」というタイトルをつけて、その生涯を要領よく、伝記的に記しています。
以下に、「第2章 永遠の杜」を読んで、印象に残ったところをメモしてみます。
本多も本郷も、森厳な神社林にふさわしいのは針葉樹であるという持論を持っていた。
崇敬の念、森厳の感あらしめる神社の森とは、常に亭々として昼なお暗いすぎ、ひのき等の針葉樹林ことふさわしいという理想。
しかし、代々木では、針葉樹の神苑は望めない。森林帯上暖帯に属するこの地を郷土とし、且つ都会特有の煙害に強い樹種でないと、常に鬱蒼とした森を将来にわたって持続することは困難である。郷土の気候風土に適応し煙害にも耐性がある樹種は、常緑闊葉樹である。
「森厳な神社林」の要件は常に大前提として針葉樹にあるのではなく、むしろ、その土地の環境に適し、自然本来の力で天然更新を可能にする樹種を重視して林相を構成するべきで、そのようにして形成された神社林が湛えるものこそ「森厳さ」とよぶに相応しい。
上原は、仁徳天皇陵を視察した。人の手の入らない照葉樹の森。その原生林のようなたたずまいに「荘厳さ」を感じとった。「全くの藪である。永遠に変わらない極限の林叢である。百年の未来を想うがゆえの思慮であった」。以来、神社林の設計では、この「藪」のような原生林を究極の理想として進めなければならないという深い自覚をもった。 |